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宝仙小ニュース

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Hosen TV #26「東日本大震災の医療支援で経験したこと」

投稿日2020/11/6

【10月26日 月曜日】 在校生保護者 山下淳 氏 (都内大学病院 循環器内科医)

2011年3月11日 地震発生。

山下さんは災害発生後、災害医療支援チームの一員として福島県相馬市に向かい、地元の病院と協力して地域の方や患者さんのケアをすることになりました。

被災当時の現地の写真なども見せていただいたり、どんな場所で支援されていたのかも説明してくださったりしました。

たくさんのお話のなかでとても印象に残ったお話がありましたのでご紹介します。

 

~漁師をしていたあるおじいさんのお話~

それまでとても健康で元気に過ごしていたおじいさん。しかし被災後は、元気がない・眠れない・頭が痛い・ご飯を食べる気がしないという症状が出てしまいました。眠れるような薬を飲んだり、頭が痛くならないような薬を飲んだりしても全然良くならなくて困っていました。

そこで、山下さんはそのおじいさんと2人でお話をしてみることにしました。すると、おじいさんは小さな子供のように大きな声で泣き始めました。

おじいさんはその地で産まれ、貧しいながらに一生懸命働き、大きな家を建て、車も買い、家族にも恵まれた。でもこの震災による津波でそれらは全部流され、さらには家族もバラバラになってしまった。その辛い思いを誰にも言えずにいたのです。そのときおじいさんは泣きながら、やっと山下さんに辛い思いを伝えることができました。

その時の山下さんはおじいさんを見て、「がんばれ」とは言えませんでした。もらい泣きをしながらただひたすら背中をさすり30分~40分一緒に時間を過ごしたのです。

そしてその日の夜から、おじいさんの眠れない・頭が痛いなどの困っていた症状はなくなりました。

~ ~ ~

山下さんは、おじいさんに新たな薬を出したわけでも、治療をしたわけでもありません。ただ隣で背中をさすりながらおじいさんに寄り添ったのです。

「おじいさんを慰めることができたのではないか」と山下さんは振り返ります。

医療支援をが終わり東京へ戻るときにはそのおじいさんは大漁旗を振って見送ってくれるほど元気に回復したそうです。

「どんな薬よりも、どんな治療よりも、その苦しみを理解してそばにいてあげるということが大切である」と山下さんは力強いメッセージを送ってくださいました。

 

山下様

本校には、「将来の夢はお医者さん」という児童は多くおります。

今回山下さんがお話してくださったお話は、そんな子どもたちへのメッセージでもあり、そして学校生活を送る中でも今後子どもたちが仲間と共に生きていくためにも必要なメッセージだったように思います。

当時の現地の様子や、そこで医師として山下さんが感じてこられたことを伺うことができ、子どもたちの心に残る15分間でした。

また、息子さんが真剣な眼差しでお父様のお話を聞いている姿がとても印象的でした。

私たちに素敵なメッセージを送ってくださったこと、また、宝仙小のために貴重なお時間をいただけたことは感謝の気持ちでいっぱいです。

心より御礼申し上げます。